過ぎていく毎日を身体で感じる。

職場ではたまに勤務時間後にキンビア(飲み会)がある。

今日も労働組合関係の会議があったとかで、キンビアの日だった。
私はその会議には出ずに別の仕事をしていて、18時ごろ職場に戻ってキンビアに参加した。

キンビアの時にはペタングという鉄の玉を投げるスポーツ(飲み会ゲームに近い)を併せてやるのだが、今日も例に漏れずペタングが行われていた。

私は隅の方でビールを飲みながら、インターンの学生や同じく隅で飲んでいた職員と話をしながら、ペタングで盛り上がる同僚たちの様子を見ていた。

こんなふうに、何度もキンビアをしてきた。

今でこそ隅でひっそりとしているけど、赴任したばかりの頃はみんなの輪に入ろうとビールを積極的に飲み、注ぎ、ペタングに参加したりもしていた。同僚とのそんな時間は楽しかった。

そんな日常が、もう少しで終わるんだと考えていたら、急にさみしい気持ちになった。

普段はこの街で孤独とか寂しい気持ちを感じることの方が圧倒的に多いけど、みんな適度な距離感で私を受け入れてくれている。キンビアに参加しなくても特に何も言わないし、行けば喜んでお酒を注いでくれる。ここで私は確実に2年間、生きてきたんだ。

こんな日常も、ここにいる人たちにとってはこれからまた何年も続いていくうちの一回でしかない。でも私にとっては、2年間という限られたうちの、限られた瞬間なのだ。

なんだかそんなふうに感傷的になってしまい、涙が溢れてきた。

「どうした?日本が恋しいの?」と近くで飲んでいた同僚に聞かれたから、そういうことにしておいた。本当は逆なんだけどね。

たぶん思い出すのって、こういう何気ない日常の一瞬なんだろうなって思うから、そんな瞬間すら過ぎ去ってしまうのはとてもさみしい。

あと何回こうやってキンビアできるだろうか。1回、2回…しかないかもしれない。

いつもいつもその時の瞬間を味わって過ごせるほど心の余裕はないけれど、でもこうやって感じた時にこうやって書き留めておこうと思った。

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最近隊員仲間に借りた、カンボジアで織物を復興させ、IKTTを創設した森本喜久男さんの著書『自由に生きていいんだよ』で今の自分に響く言葉があった。

旅やボランティアなどの新しい世界を見ることを「意味のあるものにするには」という問いに対して、

身体で感じること。五感でね。自分の感性で出会ったものとちゃんと向き合うこと、自分をそこで育んでいくこと。

表面の言葉だけの世界でおわるか、言葉の裏にあるもっとほんとの原理、そこまでも感じることができるかどうかだと思う。そこで「五感」を働かせることが大事なんだ。

いま見ているもの、日々直面すること。ぼーっとしていたら過ぎ去ってしまう。もっと五感で感じよう、向き合おう。私はラオスで何をして、何を考えてきたのか。何を学んだのか。

過ぎてしまう前に、身体中で感じようと思った。

 

明日からコミュニティ開発隊員にとって、1年で一番大きなイベント、ハンディクラフトフェスティバルへの出展のために2週間ほど首都に滞在する。

活動の大きなクライマックスになると思う。これまでやってきたこと、存分に出せるイベントにしたい。

そこで感じたことをまた持ち帰って、残りの任期で自分にできることを見つけてきたい。

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